『 月がくれたきんか 』荘厳で、美しい絵本からのメッセージは?
- 2016/05/07
- 08:00

月がくれたきんか
『月がくれたきんか』
アナリーセ・ルッサルト 文 ヨゼフ・ウィルコン 絵 いずみちほこ 訳
セーラー出版 1988年発行
先日、ブックカーニバルのフライヤーを持って訪れた、横浜は南太田・大岡川沿いの男女共同参画センター横浜南で、出逢った絵本。
このセンターは、かつて婦人会館だったところ。1階スペースには自由にくつろげるテーブル席があり、めぐカフェや手作り作品の小箱ショップ、チラシのコーナー等がある。さらに、というか、一番目立つのが、いろいろなテーマでピックアップされて配置されている図書と資料。
奥の絵本の棚で、思わず目にとまったのが『月がくれたきんか』。
まず、表紙に圧倒される。
なんともいえない厳かな色づかい。
やわらかくて深い。そして美しい。
貧乏人のミロと金持ちのルドの物語。
ミロは、白い馬を飼うために一生懸命ためた金貨をルドに頼まれ貸してしまう。
しかし、ルドは、もともとお金に困っていたわけではなく、金貨を返すつもりもない。
だまされた可哀想なミロ…、という展開なのだが。
善人であるミロは救われる。
月がくれた金貨。
お金が出てくるストーリーは、どちらかというと俗っぽくなりがちだが。
絵の力が、荘厳さと、美しさをつらぬいていく。
そして、月の金貨は、あまりに美しく生まれる。
どんなふうに、月が金貨を贈ってくれたのか…。
それは、これから読む人のお楽しみにしておこう。
そして…
人をだます悪い人は、どんなにお金持ちでも、しあわせになれない。
だまされた善い人は、たとえ貧乏でも、最終的にしあわせになれる。
物語の中にはよくあるパターンだ。
いや、現実もそうなんだよ…と声を大にして言いたい。
別に、人をだます人が不幸になればいいとは思っていないけれど。
そういう生き方でいいんだ、って開き直って、人をだまし続けたり。
自分の気分で、人に、ひどい仕打ちをし続けたり。
それは、現実の社会でも、まかり通らない。
物語の中だけでなく。
昔話、古典的な物語は、社会、政治への批判を風刺として描いていることがよくある、と言うが。
本当に、そうだなあ、と妙に納得してしまう。
古くて新しい社会の問題…その根っこにある、人の欲…。
どんな欲を抱えて、どう生きるのか・・。
豊かに実った畑を白い馬にのって駆けめぐりたい…そんな夢をもち、もらった金貨で、馬を買い。
自分は変わらず働いて過ごして、困った人にお金を分かち合う。
ミロのような健康的な欲、生き方を目指したい。
さて、
欲まみれの…政治家やお金持ちに支配されない、不健康な依存をされない
…社会にしていくにはどうしたらいいのか?
少なくとも、同じように、欲・支配・依存の土俵で闘ったり、絡み合ったりすることではないだろう。
その土俵から降りることが第一歩。
そして、
ミロが月や大地を信じたように、自然を尊び信じて寄り添い、その力をもらって生きるめぐみとする。
ミロが困っている人たちにめぐみを分かち合ったように、自分も他者もしあわせであることを大切にする。
そのあたりに、答えとなるメッセージがあるように感じた。
そうした在り方は、金貨に目をくらませていると見ることができない…。
***
素敵な絵本なのだけれど、現在、絶版。
古書として手に入れることは可能。
→Amazonリンクから探せます。
月がくれたきんか
ちなみに、発行元のセーラー出版は今「らんか社」に。
ホームページ内、出版リストの中にこの本はやはり無し。
復刻版がほしいなあ。
→復刊ドットコム

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